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時間が足りなさ過ぎて頭が沸騰する [雑記]

世の中の人々はどうやって生きているのだろう。

前に書いた通り世捨て人になった僕には何の義務も無く、毎日24時間自由なんですが…それでも全く時間が足りておりません。たとえ1日が36時間あろうと、結局足りないのでしょうが。

睡眠が7~8時間なので8時間として、食事や風呂等の生活時間が2時間。残り14時間が自由時間となるわけですが、アレもしたいコレもしたいとやっているとあっという間に時間切れとなってしまいます。

働いていた頃は睡眠時間が4時間短く、出勤の準備や通勤時間、勤務時間等の仕事関連の時間を合計すると14時間ぐらい使っていたわけですから差し引き10時間となります。
そうなると自由時間はたったの4時間ですが、労働による疲労を加味すると4時間フルに(万全の状態で)使えるとは言い難く、実質的にはもっと短いと考えて良いでしょう。

1日4時間未満の自由時間…一体なにせえっちゅーねん。
万全の状態で14時間の持ち時間がある今の僕でさえ時間が足りなさ過ぎて趣味の取捨選択を強いられている(やりたいことの半分は捨てている)というのに、4時間未満の持ち時間となれば捨てなくてはならないものが多過ぎるのではないだろうか。

仕事が楽しいからいいんだ!という方はその時間が趣味、娯楽なのでいいのでしょうが、そうでない方は集中してパパッと一生分の金を稼いでサッと隠居することも検討した方が良さそうな気がしなくもなく。

いや本当に。時間ってあっという間に過ぎるんで、気付いたら身体も満足に動かせない年齢になっちゃうと思うんですよね。そうなってから自由を手に入れたとして、一体何が出来るというのか。
やれることは勿論あるでしょうが、若い頃にやりたかった多くのことは出来なくなっているでしょう。それで良いのだろうか、と。

しかし人それぞれの生き方があるので、何が正解という話でもないです。
自分が納得出来るように生きればいいんです。納得出来る生き方が出来ないということに納得してもいいわけですしね。

なお、前回「生きたくない」とかネガティブなことを書いていたのに何言ってんだという声もあるかと思いますが、アレはネガティブな意味ではないのです。生きること自体には使命も義務も意味も無いというだけの話で。生きるということに対して張り切る必要は無い、と。

はい、おわり。
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生きる意味なんぞ無い [雑記]

ぶっちゃけ、世界が明日消えても大した問題ではない。

「人生の意味って何だろう?」とか「何のために生きているのだろう?」という疑問が頭を過ぎることがあると思います。それはとても難解で、どれだけ考えても答えの見つからない厄介な問題ですね。

が、実のところそんなに難しい話ではなく。

Q. 人生の意味とは何か?何のために生きているのか?
A. 意味なんぞ無い

というだけに過ぎません。
何をしようとも、どのように生きようとも、最終的には「無」という結果しか残らない。
そんなことはない、生きる意味はある!と主張する方もおられるのだが、それらの主張も突き詰めれば無に行き着いてしまうので、結局のところ行き着く先は「無」ということになります。

この疑問を抱き、解答を見つけられない人は「全てのものは無へと向かっている」ということがわかっているからこそ、虚無感を感じているのではないでしょうか。少なくとも僕はそうです。
一方で、生きることに意味を感じている方々は結果よりも過程を重視していると思われます。

結果は無。ただし過程には色々とある。
結果と過程、どちらが重要かと言えば当然結果です。どれほど過程が良かろうが結果がダメなら失敗ですが、どれほど過程が悪かろうが結果が良ければ成功です。

ただし、過程が悪過ぎれば途中で打ち切られるてしまうこともあり、その場合は結果を見ることが出来ずに失敗となります。よって、過程もソコソコ重要ではあります。

ここで過程と結果の観点から「人生には意味がある派」の意見を考えてみましょう。

1. 子を産み命を繋ぐことに意味があるよ
過程:人類の繁栄
結果:繁栄の先にあるもの

・命を繋いだ先に仮に何かがあるとしても、その頃には自分は存在していない。自分が存在しないということは世界は存在しない(認識できない)ということであり、何かがあろうがなかろうが関係なく結果は「無」である。
・一方、命を繋がなければ早い段階で人類の滅亡が訪れることになるが、結局のところ自分はそれを見る前に死ぬため結果は「無」であり、命を繋いだ場合と何も変わらない。
・よって、過程が良かろうが悪かろうが結果は同じ(観測できない)である。

判定:子を産み命を繋ぐことに意味は無い
※人類史において意味があろうが、個人として観測できないのであれば無意味と同義


2. 幸せになるために生きるんだよ
過程:個人の人生
結果:個人の記憶

・幸せでストレスの少ない生活を送ることにより、長生きできそう。だが、最終的には死ぬため幸せな記憶も無へと帰る。
・不幸である場合、ストレスや悩みに苛まれ辛い人生を送ることになりそう。だが、最終的には死ぬため不幸な記憶も無へと帰る。
・よって、過程が良かろうが悪かろうが結果は同じである。

判定:幸せになることに意味は無い


3. 社会や他人の役に立つために生きるんだよ
過程:社会や他人への貢献
結果:社会や他人の成長(発展)等

・社会や他人の役に立つことにより、社会的地位や信頼を得ることができる。そして、社会は更に発展し、他人は更に幸せになり、自分にも何らかのフィードバックがあるかもしれない。が、いずれは社会も滅亡し、他人も死に、自分も死に、全てが無へと帰る。
・社会や他人と関わりを絶ち、孤独のまま死ぬ。そして自分の世界が終わり無となる。
・よって、過程が良かろうが悪かろうが結果は同じである。

判定:社会や他人の役に立つことに意味は無い


いかがでしょうか。そうです、全て死亡オチです。
結局のところ、人間は絶対に死ぬので生きている間に何をしようとも結果は変わりません。

結果が変わらないという事は何をしても意味が無いし、何をしなくても意味が無いということであり、どっちでもいいということです。つまり、考える意味さえも無い。

使命がどうとか、そんなものありません。
それは自分で作ったか、誰かに刷り込まれたものに過ぎず、妄想の一種です。

人生に意味は無い。生きているのは何のためでもない。
この世に生まれて、死んでいないから生きている。ただそれだけなんですよね。

人にとって最大の不幸は生まれてしまったことでしょう。
幸せを感じていて、生まれてきて良かったと感じている人だって幾つかの不幸を味わっているはずです。しかし、生まれなければ幸せ(プラス)も無ければ不幸(マイナス)も無く、何も悩む必要は無かったはずです。

命を作り出すことは可能です。しかし、作り出された側は拒否することが出来ません。
そして、それを自力で終わらせようとするならば苦痛を伴います。よって、生まれた瞬間に一方的に不幸を与えられてしまっているわけです。

正直なところ、僕は生まれたくなかったですね。生きることはあまりにも面倒過ぎます。
これまで良いことも沢山ありましたが、それら全てを無かったことにして構わないので初めから存在しなかったことにして欲しいですね。

んー、つまらんな。
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名言は大体合ってる [雑記]

大体合ってるから名言なんだな。

福沢諭吉先生が「今日も生涯の一日なり」と言っておる。
ボケーっと過ごしても1日、超頑張って過ごしても1日、着実に終わりに近付いて行くわけで、その価値を0にするか100にするかは「どのように過ごしたか」次第だってことで。

ウォルトディズニーが「All your dreams can come true if you have the courage to pursue them. 」と言っておる。
「勇気をもって追い求めるなら、全ての夢は叶えられる」ということで、本当に全て叶うとは言わなくとも大体の夢は叶えられる。誰にでもそれぐらいの力は備わっている。

こういった名言は色んな著名人が言っていて、要約すれば大体似通った意味になる。つまり「考えろ、そして動け」ということでしかない。結局、偉業を成し遂げた人間というのは大体「考えて、行動した人間」だ。

凡人には到底辿り着けない極致の才能を先天的に持っていた人もいたとは思うが、そんな人は稀で大体は後天的に能力を高めたのではなかろうか。(ただし、身体的特徴は除く)

なんにしても、世の中の大概のことは極致の才能を持たなくても実現できる。歴史に名を刻むような偉人にはなれずとも、個人の人生を満足できるレベルにまで高めることは誰にでも出来る。

で、大体の人はそんなことは分かっている。
「やれば出来る」なんて当たり前だ。でも「やれない」のだ。ヤル気が出ない。

金銭事情や社会的立場など、環境が許さないとか言ってしまう人もいるとは思うが、大体の場合は不可能となるほどの要因ではない。工夫すれば幾らでもやりようはあるが、ヤル気が無いのだ。

んじゃまぁ、やりますか。
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台風 [雑記]

これは死ぬかもしれん…
別に構わんがPCもぶっ壊れてくれることを祈るしかないな!
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長距離を泳ぎたい [雑記]

週2でプールに通っております。

最後に泳いだのが高校生の頃だったと思うので、20年弱ぶりに泳いだわけなんですが
初日は25mで息切れ、2日目は50mで息切れ、3日目も50mで息切れ…以降ずっと50mで息切れ。

僕はクロールしか泳げないので長距離を泳ぐのは難しいだろうと考えていたのですが、クロールでも1kmぐらい泳いでいると思われる方々が沢山おられるので、泳法の問題ではないのでしょう。どうなっとるんじゃ。

観察していると筋力が物凄いというわけでもなさそうなので、心肺機能がめちゃくちゃ強いのか、コツがあるかなんだろうとは思いますが…果たして。

自分なりに疲れない泳ぎ方を模索し、何となくコツが分かってきたような気はするんですが、それでも50mを超えて泳ぐのはどう考えても不可能。ということはこのコツは不正解という可能性が高いわけでして、変なクセが定着する前に正しいコツを学ばないといかんなぁ…と。

もうちょい観察してみなくては。
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