生きる意味なんぞ無い [雑記]
ぶっちゃけ、世界が明日消えても大した問題ではない。
「人生の意味って何だろう?」とか「何のために生きているのだろう?」という疑問が頭を過ぎることがあると思います。それはとても難解で、どれだけ考えても答えの見つからない厄介な問題ですね。
が、実のところそんなに難しい話ではなく。
Q. 人生の意味とは何か?何のために生きているのか?
A. 意味なんぞ無い
というだけに過ぎません。
何をしようとも、どのように生きようとも、最終的には「無」という結果しか残らない。
そんなことはない、生きる意味はある!と主張する方もおられるのだが、それらの主張も突き詰めれば無に行き着いてしまうので、結局のところ行き着く先は「無」ということになります。
この疑問を抱き、解答を見つけられない人は「全てのものは無へと向かっている」ということがわかっているからこそ、虚無感を感じているのではないでしょうか。少なくとも僕はそうです。
一方で、生きることに意味を感じている方々は結果よりも過程を重視していると思われます。
結果は無。ただし過程には色々とある。
結果と過程、どちらが重要かと言えば当然結果です。どれほど過程が良かろうが結果がダメなら失敗ですが、どれほど過程が悪かろうが結果が良ければ成功です。
ただし、過程が悪過ぎれば途中で打ち切られるてしまうこともあり、その場合は結果を見ることが出来ずに失敗となります。よって、過程もソコソコ重要ではあります。
ここで過程と結果の観点から「人生には意味がある派」の意見を考えてみましょう。
1. 子を産み命を繋ぐことに意味があるよ
過程:人類の繁栄
結果:繁栄の先にあるもの
・命を繋いだ先に仮に何かがあるとしても、その頃には自分は存在していない。自分が存在しないということは世界は存在しない(認識できない)ということであり、何かがあろうがなかろうが関係なく結果は「無」である。
・一方、命を繋がなければ早い段階で人類の滅亡が訪れることになるが、結局のところ自分はそれを見る前に死ぬため結果は「無」であり、命を繋いだ場合と何も変わらない。
・よって、過程が良かろうが悪かろうが結果は同じ(観測できない)である。
判定:子を産み命を繋ぐことに意味は無い
※人類史において意味があろうが、個人として観測できないのであれば無意味と同義
2. 幸せになるために生きるんだよ
過程:個人の人生
結果:個人の記憶
・幸せでストレスの少ない生活を送ることにより、長生きできそう。だが、最終的には死ぬため幸せな記憶も無へと帰る。
・不幸である場合、ストレスや悩みに苛まれ辛い人生を送ることになりそう。だが、最終的には死ぬため不幸な記憶も無へと帰る。
・よって、過程が良かろうが悪かろうが結果は同じである。
判定:幸せになることに意味は無い
3. 社会や他人の役に立つために生きるんだよ
過程:社会や他人への貢献
結果:社会や他人の成長(発展)等
・社会や他人の役に立つことにより、社会的地位や信頼を得ることができる。そして、社会は更に発展し、他人は更に幸せになり、自分にも何らかのフィードバックがあるかもしれない。が、いずれは社会も滅亡し、他人も死に、自分も死に、全てが無へと帰る。
・社会や他人と関わりを絶ち、孤独のまま死ぬ。そして自分の世界が終わり無となる。
・よって、過程が良かろうが悪かろうが結果は同じである。
判定:社会や他人の役に立つことに意味は無い
いかがでしょうか。そうです、全て死亡オチです。
結局のところ、人間は絶対に死ぬので生きている間に何をしようとも結果は変わりません。
結果が変わらないという事は何をしても意味が無いし、何をしなくても意味が無いということであり、どっちでもいいということです。つまり、考える意味さえも無い。
使命がどうとか、そんなものありません。
それは自分で作ったか、誰かに刷り込まれたものに過ぎず、妄想の一種です。
人生に意味は無い。生きているのは何のためでもない。
この世に生まれて、死んでいないから生きている。ただそれだけなんですよね。
人にとって最大の不幸は生まれてしまったことでしょう。
幸せを感じていて、生まれてきて良かったと感じている人だって幾つかの不幸を味わっているはずです。しかし、生まれなければ幸せ(プラス)も無ければ不幸(マイナス)も無く、何も悩む必要は無かったはずです。
命を作り出すことは可能です。しかし、作り出された側は拒否することが出来ません。
そして、それを自力で終わらせようとするならば苦痛を伴います。よって、生まれた瞬間に一方的に不幸を与えられてしまっているわけです。
正直なところ、僕は生まれたくなかったですね。生きることはあまりにも面倒過ぎます。
これまで良いことも沢山ありましたが、それら全てを無かったことにして構わないので初めから存在しなかったことにして欲しいですね。
んー、つまらんな。
「人生の意味って何だろう?」とか「何のために生きているのだろう?」という疑問が頭を過ぎることがあると思います。それはとても難解で、どれだけ考えても答えの見つからない厄介な問題ですね。
が、実のところそんなに難しい話ではなく。
Q. 人生の意味とは何か?何のために生きているのか?
A. 意味なんぞ無い
というだけに過ぎません。
何をしようとも、どのように生きようとも、最終的には「無」という結果しか残らない。
そんなことはない、生きる意味はある!と主張する方もおられるのだが、それらの主張も突き詰めれば無に行き着いてしまうので、結局のところ行き着く先は「無」ということになります。
この疑問を抱き、解答を見つけられない人は「全てのものは無へと向かっている」ということがわかっているからこそ、虚無感を感じているのではないでしょうか。少なくとも僕はそうです。
一方で、生きることに意味を感じている方々は結果よりも過程を重視していると思われます。
結果は無。ただし過程には色々とある。
結果と過程、どちらが重要かと言えば当然結果です。どれほど過程が良かろうが結果がダメなら失敗ですが、どれほど過程が悪かろうが結果が良ければ成功です。
ただし、過程が悪過ぎれば途中で打ち切られるてしまうこともあり、その場合は結果を見ることが出来ずに失敗となります。よって、過程もソコソコ重要ではあります。
ここで過程と結果の観点から「人生には意味がある派」の意見を考えてみましょう。
1. 子を産み命を繋ぐことに意味があるよ
過程:人類の繁栄
結果:繁栄の先にあるもの
・命を繋いだ先に仮に何かがあるとしても、その頃には自分は存在していない。自分が存在しないということは世界は存在しない(認識できない)ということであり、何かがあろうがなかろうが関係なく結果は「無」である。
・一方、命を繋がなければ早い段階で人類の滅亡が訪れることになるが、結局のところ自分はそれを見る前に死ぬため結果は「無」であり、命を繋いだ場合と何も変わらない。
・よって、過程が良かろうが悪かろうが結果は同じ(観測できない)である。
判定:子を産み命を繋ぐことに意味は無い
※人類史において意味があろうが、個人として観測できないのであれば無意味と同義
2. 幸せになるために生きるんだよ
過程:個人の人生
結果:個人の記憶
・幸せでストレスの少ない生活を送ることにより、長生きできそう。だが、最終的には死ぬため幸せな記憶も無へと帰る。
・不幸である場合、ストレスや悩みに苛まれ辛い人生を送ることになりそう。だが、最終的には死ぬため不幸な記憶も無へと帰る。
・よって、過程が良かろうが悪かろうが結果は同じである。
判定:幸せになることに意味は無い
3. 社会や他人の役に立つために生きるんだよ
過程:社会や他人への貢献
結果:社会や他人の成長(発展)等
・社会や他人の役に立つことにより、社会的地位や信頼を得ることができる。そして、社会は更に発展し、他人は更に幸せになり、自分にも何らかのフィードバックがあるかもしれない。が、いずれは社会も滅亡し、他人も死に、自分も死に、全てが無へと帰る。
・社会や他人と関わりを絶ち、孤独のまま死ぬ。そして自分の世界が終わり無となる。
・よって、過程が良かろうが悪かろうが結果は同じである。
判定:社会や他人の役に立つことに意味は無い
いかがでしょうか。そうです、全て死亡オチです。
結局のところ、人間は絶対に死ぬので生きている間に何をしようとも結果は変わりません。
結果が変わらないという事は何をしても意味が無いし、何をしなくても意味が無いということであり、どっちでもいいということです。つまり、考える意味さえも無い。
使命がどうとか、そんなものありません。
それは自分で作ったか、誰かに刷り込まれたものに過ぎず、妄想の一種です。
人生に意味は無い。生きているのは何のためでもない。
この世に生まれて、死んでいないから生きている。ただそれだけなんですよね。
人にとって最大の不幸は生まれてしまったことでしょう。
幸せを感じていて、生まれてきて良かったと感じている人だって幾つかの不幸を味わっているはずです。しかし、生まれなければ幸せ(プラス)も無ければ不幸(マイナス)も無く、何も悩む必要は無かったはずです。
命を作り出すことは可能です。しかし、作り出された側は拒否することが出来ません。
そして、それを自力で終わらせようとするならば苦痛を伴います。よって、生まれた瞬間に一方的に不幸を与えられてしまっているわけです。
正直なところ、僕は生まれたくなかったですね。生きることはあまりにも面倒過ぎます。
これまで良いことも沢山ありましたが、それら全てを無かったことにして構わないので初めから存在しなかったことにして欲しいですね。
んー、つまらんな。
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