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1週間 [雑記]

体感では3日ぐらいなんだが。助けて。

今週はこんな内容でごんす。

・自己肯定感
自分語り系。自己肯定感について大きな誤解をしていたと言わざるを得ない。

・イケメンもOK
絵の話?慣れって怖いですね。

・今週の進捗
絵の話。いつものヤツです。多分2枚。

ほいではドン。


・自己肯定感
ずっと思い違いをしていたんです。僕は自己肯定感の低い人間だ、と。本当はそうではなくて、自己肯定が下手、あるいは上手な自己肯定方法を知らないだけのようです。

自己肯定が下手というのはつまり、上手いこと自分を肯定できないということじゃないですか。つまり「自分の良い所を見つけるのが下手」ということであって「自己肯定感が低い」とはイコールの関係ではないんですよね。ここを混同していました。

「上手」「下手」と「高い」「低い」の組み合わせを考えてみます。
※セリフは「マンガでこのタイプのキャラが登場したら」みたいなヤツ。

A.上手&高い:
「俺こそが最強!俺の長所を聞きたいって?長くなるがいいかね?ガッハッハ!」
まさにポジティブの化身。世界を切り開く力はこういう人から生まれる。
→ジョジョの奇妙な冒険のDIO

B.上手&低い:
「自分は何も出来ない無能な人間だ…でもそれが自分だからいいんだ」
上手く言えませんが、自分自身との折り合いをつけられる人。一番普通なのかも。
→エヴァンゲリオンの碇シンジ

C.下手&高い:
「俺は最強だ!最強のはずだ!だがしかし何も出来ない、なぜだ!」
自分を過信している人。想像と現実が大きく乖離しているため、自分を肯定できない。
→ドラゴンボールのベジータ(初期)

D.下手&低い:
「自分は無能で何ひとつ良いところが無い…最低の人間なんだ」
絶望してしまっている人。誰かの助けが必要かも。独力ではなかなか抜け出せない。
→人間失格の大庭葉蔵(マンガじゃないけど)

大体こんな感じじゃないですか。
僕のこれまでの乏しい人生経験から推測すると、日本人の場合は多くの人がBタイプなんじゃなかろうかと。国民性というか、そういう教育が主流だからなんでしょうが。


じゃあ僕はどれなのか?という話ですよね。
そう、迷うことなくCタイプです。間違いなく、確実にCタイプです。

自分で言うのもナンですが、Cタイプは一番お近づきになりたくない人種な感じがします。だって明らかに面倒臭いじゃないですか、付き合っていられませんよ。

それでもただ面倒なヤツというだけではなくて、一応はCタイプならではの強みというのもあります。このタイプは精神が折れない限り死ぬまで戦い続けることが出来るんですよね。絶対に満足できないので、絶対に戦うことをやめないのです。

心の平穏を捨てるのと引き換えに、無限の闘争心を手に入れているのです。それが折れたら即死します。闘争心以外に何も拠り所が無いので。よって、折れやすいCタイプはむちゃくちゃ弱い。元々折れているDタイプよりも更に弱い。最弱です。

僕は幸いなことに折れやすくはないというか、折れても喰らいつく執念深い人間なので暫くは死なずに済みそうです。いつまでもつかわからんですけど。


何となくですが、クリエイターってCタイプが多い気がするんですよね。クリエイターだからCタイプになるのか、Cタイプだからクリエイターになるのかは知りませんが、とにかく創作活動というものは妄想(陶酔)と表裏一体なんじゃないかと思います。

思い返せば僕は幼稚園の頃からずっとCタイプなので、創作を始めたからというワケではなさそうです。こりゃ死ぬまで変わらんでしょうな。三つ子の魂百までって言いますし。


以下、絵の話なので畳みます。今週は間違い探しが2枚ぐらい。



 
・イケメンもOK
毎日毎日、絵の参考資料やら何やらで女子の写真やイラストを死ぬほど見ています。その結果、なんというか慣れてしまったんですよね。女子の姿に。もうエロ画像とか見ても「この表現はどうやっているんだ」「ここの構造が気になるな」等としか思えません。
※何の思い入れも無い場合の話です

昔は「産婦人科の先生って毎日エロエロで最高だよな!」なんて思っていましたが、実際は仕事だからなんとも思っていないじゃないですか。それを聞いても嘘だろー?という感想だったんですけど、今なら分かります。あれは真実だったのだ、と。


僕はちょいちょいゲームをやるんですが、昔はイケメン(というか男)のキャラを使わなかったんですよ。どんなに強キャラであっても(必須の場合以外は)使いませんでした。

これは僕個人の嗜好なんですが、別にカッコいい男キャラを見ても嬉しくもなんともないんですよ。息抜きでゲームをプレイしているというのに、嬉しくもなんともない要素を入れたくないじゃないですか。息抜きの時間は嬉しい要素で埋め尽くしたいのです。

ところが、最近は上の通り女子を資料としてしか見られなくなったため、嬉しさを殆ど感じません。よって、男キャラとの価値の差が殆どなくなってしまったんですよね。そりゃまぁゼロと比べたら少しは上なんですが、大したアドバンテージはありません。

先日「ゲームクリアが見えてきた」という話を書きましたが、その背景にはこういった事情があったのです。強い男キャラを使うようになったため攻略スピードが上がった、と。その結果、めでたくクリアを達成したので絵の時間を確保することもできました。

ありがとう、イケメン。でも描かないけどな。


・今週の進捗
いつも通りの進捗です。順番に参ります。

2021-04-12_甘雨_X5d.jpg
先週の状態

2021-04-12_甘雨_X6a.jpg
今週の成果

間 違 い 探 し か

変化したところはキャラの塗りと麒麟(以降、馬)の脚です。
キャラのハイライトはまだ入れていませんし、髪の追記、顔の塗りもまだです。これらは全体のバランスを見てからやろうと思っているので、最後になりますね。

一応の予定では、今週でキャラの塗りを完了(上記以外)、来週で馬と馬具の塗りを完了、再来週で背景と全体調整(+上記)を完了というつもりだったので、一応は達成したということになります。脚の塗りが多少進んでいるので、若干のリードがある感じでしょうか。

現段階では変な部分もあって、僕が把握しているのは馬の後ろ脚ですね。ココって恐らく画面で一番暗くなる部分なんですけど(光源が左上なので)、微妙に明るいですよね。少し明度を落としてもいいかなと。でも反射光で少し明るくなるからどうじゃろ。

絵を描いている本人はおかしいところに気付かないので(これで良いと思って描いているため)、何かありましたら教えて頂けると嬉しいです。


元々は今週は馬を塗る予定だったんですけど、塗っている途中で「馬ってそんなに大事か?僕の絵を見てくれる人は馬じゃなくキャラに興味があるのでは?」という重大な事実に気が付いたので順番を変えました。疲れる前に大事な部分を塗った方がいいですもんね。

そして来週は「キャラを塗って疲れた状態」で「大して重要じゃない馬」を塗るわけでして、ヤル気の維持が一番の問題になりそうです。ここが正念場でごわす。

馬…馬か…馬。
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コメント 4

いっぷく

>「自分は何も出来ない無能な人間だ…でもそれが自分だからいいんだ」
私も自己肯定感が低いと思っていますが、これが近いですね。
「自分だから良いんだ」というか、「だからどうした。仕方ないだろ」みたいな感じかな

by いっぷく (2021-05-17 01:30) 

Caelum

>>いっぷくさん
なんと力強い肯定力!
人間というものはどう頑張っても完全無欠の存在にはなり得ないので、どこまで行っても「仕方ない」がありますもんね。その「仕方ない」を「仕方ない」と認められる力こそが自己肯定の要なのかもしれませぬ。

by Caelum (2021-05-18 00:43) 

そら

私はAだと思うのです…。自分の自信がどこから来るのかちょっと気になる時もあります。
そして多分周りの人大半がAだと思います。
ちょっと考えたのですが、日本人って子供を褒めないからそうなるのでは?他人さまに「うちの子は全然だめなので」って言いますよね。家の親は最初っから「文句の付け所がない子で申し訳ありません」スタイルで学校の面談に臨んでいた気がしますw
どうしてみんな素敵な所がいっぱいあるのに、認めないの?それとも照れ隠しなのか…?
そこあたりの微妙なニュアンスが読み取れなくて困ってます。
産婦人科の先生は確かにw
私もますます顔に興味が無くなり困ってます。いや、困ってはないかw
絵の変化わかりましたよ!直ぐに!
尻尾の色がとても映えます!素敵です。
とても細かい所だけど、やっぱりパッと見た時の印象が変わります。

by そら (2021-05-19 21:38) 

Caelum

>>そらさん
Aタイプは素晴らしいぞい!
自分を信じる力ってホントに偉大だよね、不可能を可能にしてしまう。信じていないことは出来ないというか、ヤル気が出ないので結果的に出来ないもんね。
「信じれば宝くじが当たる!」みたいな奇跡を起こす力ではもちろんないけど、実力を100%発揮するために必須の力。

>自信がどこから来るのか
そうだねぇ、やっぱり自信は成功体験から生まれているんじゃないかなと思う。
誰かに褒められた記憶、何かに打ち勝った記憶、積み重ねた修練の量、その他様々な経験を「成功した」と認識したとき、自分の中の勲章が一つ増える。
その勲章が増えて行くと(人によっては1個でも十分かもしれない)、何か壁にぶち当たった時に「自分はこれだけの勲章を獲得した人間だ!」という拠り所が生まれるので、臆することなく戦える。

上記のような経験を積んだとしても、自分自身が「成功した」と認識できないと勲章は増えないので、これは成功体験にならない。(誰かに「成功したね」と言われることで自分が「成功した」と認識しても良い)
ということで、自信を生み出すには「経験」と「成功の認識」が必要なんじゃないかなぁと思っちょる。

いま自分の中に自信があると思えるのならば、きっとこれらが揃っているのではなかろうか。どうじゃろ。

>子供を褒めないから
んむ。まったくもって同感。
「愚息」などという言葉があるけど、あれって別に「愚かな息子」という意味じゃなく「私の息子」という意味だよね。僕は、この言葉が存在する時点でもうダメだと思ってる。「私の息子」なら「私息」でええやんけ、と。なんでわざわざ「愚」などという文字を使うのか。
家父長制がどうとか、謙譲語がどうとか、何か色々と理由はあるみたいなんだけど、そこまで下げる必要はあるのだろうか。贈り物をする際の「つまらないものですが」とかもね。

僕は「謙虚は美徳」という文化が根付いているのが原因だと思ってる。それ自体は悪いことじゃないんだけど「謙虚は美徳」が「謙虚じゃないなら美徳じゃない(醜悪である)」になっているんじゃないかと。何だっけ、数学でいうところの裏だっけ?学がないので間違ってたらゴメンなんだけど、多分ソレ。
コレって(現代の感覚だと)そもそも命題がおかしくて、本当は「謙虚=美徳」ではなくて「謙虚⊆美徳」であって、謙虚は美徳の一部に過ぎないよね。だから謙虚じゃなかったら問答無用で醜悪かというとそうじゃない。
でも世間の圧力というか、日本人の伝統として「謙虚=美徳」なので「謙虚にして当然!そうじゃないヤツは醜悪!」ってなる。もちろん、それに従ってしまう人は別に悪くはない。なにせ伝統だからね、しゃーない。

ただ、いつまでもコレじゃあかんと思うんだよね。伝統は時代に応じて変化させて行ってもいい。
大昔は今ほど豊かでなかったし、社会の構造もアレだったから、社会を成立させるためには全員の役割を固定させておく必要があって、突出させずに謙虚であることが必要だったのかもしれない。(歯車は永遠に歯車じゃないと社会が成り立たない)
が、もうその時代は終わった。今は突出した人間が先頭に立って群衆を導く時代だし、その環境が整っているのだから、ガンガン突出させていい。

「謙虚さを全て失って良い」と言っているワケではなく「謙虚でなくても良い部分もある」という感じ。
どの部分がそれに当たるかとか難しい部分はあると思うけど、変わって行くと良いよね。

>顔に興味が無くなり
結局のところ皮一枚の話だし、人体の構造やら何やら考え始めるとだんだんと興味が無くなって行くよね。
好みの系統とかそういうのが消滅するわけじゃないとは思うんだけど、それが評価の拠り所ではなくなるというか何というか。重要度が下がるというか。
しかし重要度が下がっても、やはり「一般論として美女」や「一般論としてイケメン」は把握しておいた方が良いかもしれぬ。世間から隔絶されると困っちゃうかもしれんので。

>絵の変化
お、ありがとう!明度差が大きくなったから、明るい空色がいい感じになったよね。今週はこんな感じで馬をひたすら塗ってるんだけど、ようやく半分終わったかなぁというところ。大事な積み重ねであり、一番しんどい部分。コツコツやるしかないねぇ。

なんか塗れば塗るほど完成が遠くなるというか、もっと良くしたいという気持ちが湧き上がってきてしまうから困ってたりする。この「もっとクオリティを上げたい、上げられる」という気持ちにどこで区切りを付けるかが難しい…

by Caelum (2021-05-20 00:15) 

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