埋 [雑記]
穴を埋める作業は失うものが無いので気楽で良い。
・今週の読書
いつものアレ。
・日本市場
昔とは事情が違う。
・言い訳
金に関する情けない話。所詮は俗物である。
ほいではぶしゅん。
・今週の読書
今週読了した本:
粘膜蜥蜴:飴村行
現在読んでいる本:
粘膜兄弟:飴村行
「粘膜蜥蜴」を読了しました。序盤の100ページぐらいは盛り上がらなくてどうなることかと思いましたが、その後は面白くて大満足です。前作のようなエログロ描写はかなり削減され、なんと愛の物語に進化しました。いやまぁ、一般的な愛の物語とは毛色が違うんですが。それでも感動する部分もあったりして、なかなか侮れません。
解説にも書いてありますが、前作は「中学生が興奮して書いたエロ漫画」みたいな感じで、僕個人としては凄く面白かったんですが、強烈に人を選ぶ作品ではありました。一方、今作はそいういったマニアックさが薄れてマイルドになっているため(といっても変態描写は幾らかありますが)、かなり一般向けになったなという感じですね。
今日からは「粘膜兄弟」を読んでいます。何が粘膜なのかよくわかりませんが、とりあえずシリーズ作品ということになります。1作目が272ページ、2作目が384ページ、そして3作目の本作は480ページということでモリモリ増えてますね。
前作同様、序盤のアクセルは弱めです。ちょっと不安ですが、前作が途中からガラッと良くなったので本作もそんな感じであると期待しましょう。しかし変態度は若干高めで、初っ端から飼育している豚を毎日犯すジジイが登場します。そうそう、コレだよコレ。こういう頭のおかしい話を読みたいんですよ、僕は。
なんというか、フィクションって自由にやって良いというのが最大の強みじゃないですか。現実ではモラルに反するとか、法的にダメとか、物理的に無理とか色々ありますが、そういったものをやってしまえるのがフィクションの世界です。
現実でもやれる程度のことや、自分でも想像できる範囲のことならわざわざ読む必要はないじゃないですか。もちろんキャラの人間性が重要な話とかであれば別で、事象は実現可能であっても人の心は想像可能とは限らないので楽しめます。キャラクタ性が弱く、想像可能な範囲の個性しかないのであれば面白くないですが。
表現規制とかマジで要らんよなぁ。現実世界の権利を明確に侵害するものでない限り、フィクションは自由にやって欲しいですね。どうしても規制したいなら偏った認識で一部だけを規制するのでなく、全て平等に規制して人類の文化を丸ごと殺してくれ。
・日本市場
長いので結論を先に書くと「エンタメ作品は英語で作れ」です。
日本って人口多いじゃないですか。世界人口白書2023によると、世界で12位だそうです。といっても10位~12位は全て1億2,000万人台なのでほぼトップ10入りです。
日本はどちらかというと内需型の国で、この世界有数の人口を狭い国内に詰め込んで経済をぐるぐる回しているんですね。国土と資源に乏しい国なので…というのもあるんですが、恐らく最大要因は「日本語」なんじゃねぇかなと思っています。輸出しているものは言語が殆ど関係無い工業製品に限られますからね。
日本語話者って日本人だけじゃないですか。人数は1.26億人であり、世界の言語の中で11位、世界人口の1.57%に過ぎません。他言語と比べると圧倒的に難しいので外国人が習得するのも厳しく、第二言語として日本語を選択する人は稀じゃないかと。日本文化が好きとか、日本で稼ぎたいとか、取引先だとか、そういった事情がある場合のみでしょう。
他方、1位は英語で15.31億人(19.1%)、2位は中国語で14.77億人(18.42%)、3位はスペイン語で5.16億人(6.43%)、アラビア語4.47億人(5.57%)、フランス語4.31億人(5.37%)と続きます。インドは地域によって言語が違っていて、人口は多いんですがヒンディー語を使っている人はあまりいません。なので上位には入りません。
ということで、文字を使うサービスを展開するなら日本語はむちゃくちゃ弱いということになるんですが、実際には話者のうち「経済的に商売相手となる水準の人口」が重要になります。日本語はこの辺りが強くて、サービスの内容にもよりますが例えばマンガなら国民の大部分が顧客となり得る経済状況にありますよね。1冊500円の本を購入できる人は、1.26億人のうち0.8億人ぐらいはいるんじゃないですかね。(実際に買うかは別として)
で、他の言語についてこの辺りを調べるのは結構難しいので「世界のインターネット人口割合」なるものを参照したいと思います。インターネットを利用できる経済状況なら、500円の本を購入するぐらいなら出来そうじゃないですか。
1位は英語で11.86億人(25.9%)、2位は中国語で8.85億人(19.4%)、3位はスペイン語で3.64億人(7.9%)と続き、日本語は8位で1.19億人(2.6%)です。というワケで、マンガを売るなら英語か中国語で制作した方が商売相手は多いんじゃない?という。
「そうはいっても、物価が違うから日本と同じ価格じゃ売れんやろ」という話があるじゃないですか。それはそうなんですが、インターネットで販売するなら価格は世界共通であるべきです。そこで「日本の価格でも買ってくれるのか?」を調べます。
ここで役立つのが「経済指標としてあまり役に立たない」と言われることの多いビッグマック指数ですね。アレは原料価格とか輸送費とかが国によって違うので単純に値段比較しても意味無いよって話なんですが、嗜好品の価格調査が目的であればドンピシャで役立つ情報なのです。要は「マンガを買うかビッグマックを買うか」みたいな話なので。
前提として、日本のビッグマックが450円です(480円になりましたが、参考データは450円の時代のものなのでそうします)。USドル換算で3ドルですね。これまでマンガの価格を500円としてましたが、めんどいのでここからは450円とします。
まず英語。使用している国が多過ぎるので一概には言えませんが、アメリカ(5.58ドル)、イギリス(5.39ドル)、カナダ(5.36ドル)、オーストラリア(5.02ドル)、シンガポール(4.86ドル)、フィリピン(2.82ドル)、インド(2.54ドル)など。実はフィリピンやインドでも日本とそこまで差が無いぐらいの価値なので「ビッグマックを買える人は日本の価格でマンガを買える」と思っても良さそうです。
次に中国語。シンガポール(4.86ドル)、中国(3.50ドル)、台湾(2.39ドル)といったところなんですが、中国とシンガポールは簡体字、台湾は繁体字なので文字が違います。よって商売相手となるのはシンガポールと中国都市部の人か、台湾の人かの二択になります。変換自体は自動で行えるので、大したコストをかけずに2種類販売できたりしますが。
最後にスペイン語。アルゼンチン(5.99ドル)、スペイン(約5.82ドル)、メキシコ(5.33ドル)など。アルゼンチンやメキシコは日本の半分の物価と言われていて、マック自体が割と贅沢品だったりするするみたいなんですが、とりあえず「ビッグマックか日本語のマンガか」は成り立つみたいですね。贅沢品であるなら買う人は少ないでしょうけど。
ということで、英語、中国語、スペイン語のいずれにおいても「日本の価格でもビッグマックと同じ感覚で販売できる」と言えそうです。「日本人相手の方が内容が伝わりやすい」といった部分はありますが、それは慣れの問題なので対象の言語の作品をある程度読めば感覚を掴めますよね。その努力をするだけで潜在顧客の数が何倍にも増えるので、日本語で制作するメリットは限りなく弱いと言えるのではなかろうかと。
中国だと外国人は販売サイトに登録できなかったりするのでアレなんですが、日本のショップを見に来る中国人も多いので、中国語で作成して置いておけば良いと思います。英語なら有名ショップに登録できるので何の問題もありません。為替の都合で売り上げが変動するので、PayPalでドル保有して円安の時に引き出すとか。売り上げタイミングと引き出しがズレると税金関連の計算が面倒臭くなるのでオススメできませんが。
「でも客も増えるけど、ライバルも増えるよね?」って話しなんですが、海外はトップクラスが激強いだけで中堅クラスは弱いです。むしろ中堅クラスだと日本の方が熾烈なので、トップを取る自信がある場合を除き海外の方が戦えると思います。
とりあえず僕がもし活動を再開するなら、次は英語で作ろうと思います。というか発売済みの作品を英語版にして海外に出してみたいなと。でもテーマ的に出せないかも。海外だと規制内容が日本と違って、意外なモノがダメだったりしますからね。
なお、この後の話を読むと「お前の言うことはあてにならん」ってなると思います。
以下、しょうもないクソ話なので畳みます。
・今週の読書
いつものアレ。
・日本市場
昔とは事情が違う。
・言い訳
金に関する情けない話。所詮は俗物である。
ほいではぶしゅん。
・今週の読書
今週読了した本:
粘膜蜥蜴:飴村行
現在読んでいる本:
粘膜兄弟:飴村行
「粘膜蜥蜴」を読了しました。序盤の100ページぐらいは盛り上がらなくてどうなることかと思いましたが、その後は面白くて大満足です。前作のようなエログロ描写はかなり削減され、なんと愛の物語に進化しました。いやまぁ、一般的な愛の物語とは毛色が違うんですが。それでも感動する部分もあったりして、なかなか侮れません。
解説にも書いてありますが、前作は「中学生が興奮して書いたエロ漫画」みたいな感じで、僕個人としては凄く面白かったんですが、強烈に人を選ぶ作品ではありました。一方、今作はそいういったマニアックさが薄れてマイルドになっているため(といっても変態描写は幾らかありますが)、かなり一般向けになったなという感じですね。
今日からは「粘膜兄弟」を読んでいます。何が粘膜なのかよくわかりませんが、とりあえずシリーズ作品ということになります。1作目が272ページ、2作目が384ページ、そして3作目の本作は480ページということでモリモリ増えてますね。
前作同様、序盤のアクセルは弱めです。ちょっと不安ですが、前作が途中からガラッと良くなったので本作もそんな感じであると期待しましょう。しかし変態度は若干高めで、初っ端から飼育している豚を毎日犯すジジイが登場します。そうそう、コレだよコレ。こういう頭のおかしい話を読みたいんですよ、僕は。
なんというか、フィクションって自由にやって良いというのが最大の強みじゃないですか。現実ではモラルに反するとか、法的にダメとか、物理的に無理とか色々ありますが、そういったものをやってしまえるのがフィクションの世界です。
現実でもやれる程度のことや、自分でも想像できる範囲のことならわざわざ読む必要はないじゃないですか。もちろんキャラの人間性が重要な話とかであれば別で、事象は実現可能であっても人の心は想像可能とは限らないので楽しめます。キャラクタ性が弱く、想像可能な範囲の個性しかないのであれば面白くないですが。
表現規制とかマジで要らんよなぁ。現実世界の権利を明確に侵害するものでない限り、フィクションは自由にやって欲しいですね。どうしても規制したいなら偏った認識で一部だけを規制するのでなく、全て平等に規制して人類の文化を丸ごと殺してくれ。
・日本市場
長いので結論を先に書くと「エンタメ作品は英語で作れ」です。
日本って人口多いじゃないですか。世界人口白書2023によると、世界で12位だそうです。といっても10位~12位は全て1億2,000万人台なのでほぼトップ10入りです。
日本はどちらかというと内需型の国で、この世界有数の人口を狭い国内に詰め込んで経済をぐるぐる回しているんですね。国土と資源に乏しい国なので…というのもあるんですが、恐らく最大要因は「日本語」なんじゃねぇかなと思っています。輸出しているものは言語が殆ど関係無い工業製品に限られますからね。
日本語話者って日本人だけじゃないですか。人数は1.26億人であり、世界の言語の中で11位、世界人口の1.57%に過ぎません。他言語と比べると圧倒的に難しいので外国人が習得するのも厳しく、第二言語として日本語を選択する人は稀じゃないかと。日本文化が好きとか、日本で稼ぎたいとか、取引先だとか、そういった事情がある場合のみでしょう。
他方、1位は英語で15.31億人(19.1%)、2位は中国語で14.77億人(18.42%)、3位はスペイン語で5.16億人(6.43%)、アラビア語4.47億人(5.57%)、フランス語4.31億人(5.37%)と続きます。インドは地域によって言語が違っていて、人口は多いんですがヒンディー語を使っている人はあまりいません。なので上位には入りません。
ということで、文字を使うサービスを展開するなら日本語はむちゃくちゃ弱いということになるんですが、実際には話者のうち「経済的に商売相手となる水準の人口」が重要になります。日本語はこの辺りが強くて、サービスの内容にもよりますが例えばマンガなら国民の大部分が顧客となり得る経済状況にありますよね。1冊500円の本を購入できる人は、1.26億人のうち0.8億人ぐらいはいるんじゃないですかね。(実際に買うかは別として)
で、他の言語についてこの辺りを調べるのは結構難しいので「世界のインターネット人口割合」なるものを参照したいと思います。インターネットを利用できる経済状況なら、500円の本を購入するぐらいなら出来そうじゃないですか。
1位は英語で11.86億人(25.9%)、2位は中国語で8.85億人(19.4%)、3位はスペイン語で3.64億人(7.9%)と続き、日本語は8位で1.19億人(2.6%)です。というワケで、マンガを売るなら英語か中国語で制作した方が商売相手は多いんじゃない?という。
「そうはいっても、物価が違うから日本と同じ価格じゃ売れんやろ」という話があるじゃないですか。それはそうなんですが、インターネットで販売するなら価格は世界共通であるべきです。そこで「日本の価格でも買ってくれるのか?」を調べます。
ここで役立つのが「経済指標としてあまり役に立たない」と言われることの多いビッグマック指数ですね。アレは原料価格とか輸送費とかが国によって違うので単純に値段比較しても意味無いよって話なんですが、嗜好品の価格調査が目的であればドンピシャで役立つ情報なのです。要は「マンガを買うかビッグマックを買うか」みたいな話なので。
前提として、日本のビッグマックが450円です(480円になりましたが、参考データは450円の時代のものなのでそうします)。USドル換算で3ドルですね。これまでマンガの価格を500円としてましたが、めんどいのでここからは450円とします。
まず英語。使用している国が多過ぎるので一概には言えませんが、アメリカ(5.58ドル)、イギリス(5.39ドル)、カナダ(5.36ドル)、オーストラリア(5.02ドル)、シンガポール(4.86ドル)、フィリピン(2.82ドル)、インド(2.54ドル)など。実はフィリピンやインドでも日本とそこまで差が無いぐらいの価値なので「ビッグマックを買える人は日本の価格でマンガを買える」と思っても良さそうです。
次に中国語。シンガポール(4.86ドル)、中国(3.50ドル)、台湾(2.39ドル)といったところなんですが、中国とシンガポールは簡体字、台湾は繁体字なので文字が違います。よって商売相手となるのはシンガポールと中国都市部の人か、台湾の人かの二択になります。変換自体は自動で行えるので、大したコストをかけずに2種類販売できたりしますが。
最後にスペイン語。アルゼンチン(5.99ドル)、スペイン(約5.82ドル)、メキシコ(5.33ドル)など。アルゼンチンやメキシコは日本の半分の物価と言われていて、マック自体が割と贅沢品だったりするするみたいなんですが、とりあえず「ビッグマックか日本語のマンガか」は成り立つみたいですね。贅沢品であるなら買う人は少ないでしょうけど。
ということで、英語、中国語、スペイン語のいずれにおいても「日本の価格でもビッグマックと同じ感覚で販売できる」と言えそうです。「日本人相手の方が内容が伝わりやすい」といった部分はありますが、それは慣れの問題なので対象の言語の作品をある程度読めば感覚を掴めますよね。その努力をするだけで潜在顧客の数が何倍にも増えるので、日本語で制作するメリットは限りなく弱いと言えるのではなかろうかと。
中国だと外国人は販売サイトに登録できなかったりするのでアレなんですが、日本のショップを見に来る中国人も多いので、中国語で作成して置いておけば良いと思います。英語なら有名ショップに登録できるので何の問題もありません。為替の都合で売り上げが変動するので、PayPalでドル保有して円安の時に引き出すとか。売り上げタイミングと引き出しがズレると税金関連の計算が面倒臭くなるのでオススメできませんが。
「でも客も増えるけど、ライバルも増えるよね?」って話しなんですが、海外はトップクラスが激強いだけで中堅クラスは弱いです。むしろ中堅クラスだと日本の方が熾烈なので、トップを取る自信がある場合を除き海外の方が戦えると思います。
とりあえず僕がもし活動を再開するなら、次は英語で作ろうと思います。というか発売済みの作品を英語版にして海外に出してみたいなと。でもテーマ的に出せないかも。海外だと規制内容が日本と違って、意外なモノがダメだったりしますからね。
なお、この後の話を読むと「お前の言うことはあてにならん」ってなると思います。
以下、しょうもないクソ話なので畳みます。
妄 [雑記]
漢字について考えてみると結構面白い。
・今週の読書
いつものアレ。
・イメージ
我々の真実は脳内にあるのだ。
・難
これは難しい。とても。
ほいではぽぅ。
・今週の読書
今週読了した本:
粘膜人間:飴村行
現在読んでいる本:
粘膜蜥蜴:飴村行
「粘膜人間」を読了しました。個人的には面白かったんですが、万人向けではないです。ゴリゴリの暴力描写と、官能小説か?というエロがメインなので。しかし暴力とエロって非常に相性が良くて、合わさると人間らしい生々しい表現ができるんですよね。どちらも本能によるものであって、知性によって行われる行為じゃないからでしょうね。
ネタバレになりますが、終わり方は「読者の想像に委ねるEND」です。結末が見たかったなという思いもあるし、この終わり方が美しいのだというのも分かるし、モヤっとするなぁ…というのも含めて、よく出来た作品だと思います。
この作品は日本ホラー大賞を逃しているんですが(長編賞を受賞)、その理由は選考委員の一人である林真理子が反対したからみたいですね。
曰く「まるで悪夢のような拷問シーンが実に不愉快」「このシーンに酔っているのではないか」とか言っていましたが、悪夢のような拷問シーンが不愉快ならなんでホラー大賞の選考委員なんか引き受けたんだよ…とツッコミたくなりますし、クリエイターが自分の作品に酔うのは悪いことじゃないと思うんですが。正直、意味不明でした。
今日からは「粘膜蜥蜴」を読んでいます。まだ序盤なのでアレですが、雰囲気は前作と同じですね。しかし内容がかなりソフトになっているような…前作は最初からフルスロットルだったので、ちょっと物足りなさを感じますね。
ホラー大賞の評価を受け止めて幾らかソフトにしてしまったのだろうか。持ち味が死ぬだけなのでガン無視で良いと思うんですが。今回は徐々に上げて行くスタイルということなら良いのですが。前回より100Pぐらい長いですしね。さて、どうなることか。
・イメージ
名前のイメージって大事じゃないですか。ゴリゴリのギャルが花子という名前だったら意外な感じがする一方、玲奈という名前だったらなんかそんな感じがするという。別に花子という名前が悪いという意味じゃなくて、なんというかフィット感ですね。
で。「いぬ」や「ねこ」は名前からして可愛いじゃないですか。ズルいですね。じゃあ、例えば「ねこ」ではなく「げめ」という名前だったらどうでしょう?「『げめ』って名前からしてもう可愛いからズルいよね」とか思うのでしょうか?
僕の想像では恐らく「げめ」も可愛い名前として受け入れられると思うんですよね。「ねこ」という名前が可愛いわけじゃなくて、名も無き可愛い存在に「ねこ」という名前がついたからこそ「ねこ」という名前自体が可愛いイメージを持つワケでして、それが「げめ」であったとしても何も変わらないんじゃないかと。
「ねこみみ」は「げめみみ」だし、「まねきねこ」は「まねきげめ」になるんですが、どちらも可愛いイメージを持つはずなのです。「でもよく考えたら『げめ』って何か気持ち悪い響きじゃない?」とか言ったら変人扱いですよ。つまりイメージを作り出すことに成功したヤツが勝者であり、後発は決してそのイメージを覆すことはできないのです。
そう考えると、我々の感覚に本質なんてものは存在しないのかもしれない。「あいつは何も分かっていない」とか言って通ぶっている人も、結局のところ何かに影響されたイメージを本質だと思い込んでいるに過ぎないのです。僕もきっと。
・難
問題です。これは政治活動家の名前ですが、なんと読むでしょうか。
「高嶋勇喜」
はい。「たかしま ゆうき」ですよね?Noです。違います。
正解は…
「たかしま てつわんあとむ」
です。
本人に取材した記事があったんですが、その中のやり取りで
>ところで、『鉄腕アトム』という作品に思い入れは?
>「いえ、特に」
いやはや、全てにおいて強過ぎる。
そんな感じで、僕も強くなりたいと思いマス。
・今週の読書
いつものアレ。
・イメージ
我々の真実は脳内にあるのだ。
・難
これは難しい。とても。
ほいではぽぅ。
・今週の読書
今週読了した本:
粘膜人間:飴村行
現在読んでいる本:
粘膜蜥蜴:飴村行
「粘膜人間」を読了しました。個人的には面白かったんですが、万人向けではないです。ゴリゴリの暴力描写と、官能小説か?というエロがメインなので。しかし暴力とエロって非常に相性が良くて、合わさると人間らしい生々しい表現ができるんですよね。どちらも本能によるものであって、知性によって行われる行為じゃないからでしょうね。
ネタバレになりますが、終わり方は「読者の想像に委ねるEND」です。結末が見たかったなという思いもあるし、この終わり方が美しいのだというのも分かるし、モヤっとするなぁ…というのも含めて、よく出来た作品だと思います。
この作品は日本ホラー大賞を逃しているんですが(長編賞を受賞)、その理由は選考委員の一人である林真理子が反対したからみたいですね。
曰く「まるで悪夢のような拷問シーンが実に不愉快」「このシーンに酔っているのではないか」とか言っていましたが、悪夢のような拷問シーンが不愉快ならなんでホラー大賞の選考委員なんか引き受けたんだよ…とツッコミたくなりますし、クリエイターが自分の作品に酔うのは悪いことじゃないと思うんですが。正直、意味不明でした。
今日からは「粘膜蜥蜴」を読んでいます。まだ序盤なのでアレですが、雰囲気は前作と同じですね。しかし内容がかなりソフトになっているような…前作は最初からフルスロットルだったので、ちょっと物足りなさを感じますね。
ホラー大賞の評価を受け止めて幾らかソフトにしてしまったのだろうか。持ち味が死ぬだけなのでガン無視で良いと思うんですが。今回は徐々に上げて行くスタイルということなら良いのですが。前回より100Pぐらい長いですしね。さて、どうなることか。
・イメージ
名前のイメージって大事じゃないですか。ゴリゴリのギャルが花子という名前だったら意外な感じがする一方、玲奈という名前だったらなんかそんな感じがするという。別に花子という名前が悪いという意味じゃなくて、なんというかフィット感ですね。
で。「いぬ」や「ねこ」は名前からして可愛いじゃないですか。ズルいですね。じゃあ、例えば「ねこ」ではなく「げめ」という名前だったらどうでしょう?「『げめ』って名前からしてもう可愛いからズルいよね」とか思うのでしょうか?
僕の想像では恐らく「げめ」も可愛い名前として受け入れられると思うんですよね。「ねこ」という名前が可愛いわけじゃなくて、名も無き可愛い存在に「ねこ」という名前がついたからこそ「ねこ」という名前自体が可愛いイメージを持つワケでして、それが「げめ」であったとしても何も変わらないんじゃないかと。
「ねこみみ」は「げめみみ」だし、「まねきねこ」は「まねきげめ」になるんですが、どちらも可愛いイメージを持つはずなのです。「でもよく考えたら『げめ』って何か気持ち悪い響きじゃない?」とか言ったら変人扱いですよ。つまりイメージを作り出すことに成功したヤツが勝者であり、後発は決してそのイメージを覆すことはできないのです。
そう考えると、我々の感覚に本質なんてものは存在しないのかもしれない。「あいつは何も分かっていない」とか言って通ぶっている人も、結局のところ何かに影響されたイメージを本質だと思い込んでいるに過ぎないのです。僕もきっと。
・難
問題です。これは政治活動家の名前ですが、なんと読むでしょうか。
「高嶋勇喜」
はい。「たかしま ゆうき」ですよね?Noです。違います。
正解は…
「たかしま てつわんあとむ」
です。
本人に取材した記事があったんですが、その中のやり取りで
>ところで、『鉄腕アトム』という作品に思い入れは?
>「いえ、特に」
いやはや、全てにおいて強過ぎる。
そんな感じで、僕も強くなりたいと思いマス。
美 [雑記]
高難度の方が面白いだろ?ってのは誤り
・今週の読書
いつものアレ。
・残
多くの日本人が見落としていそうなこと。
ほいドン。
・今週の読書
今週読了した本:
ただしい人類滅亡計画-反出生主義をめぐる物語:品田遊
現在読んでいる本:
粘膜人間:飴村行
「ただしい人類滅亡(略」を読了しました。一応は小説という体になっていますが、実際には反出生主義を巡る議論の議事録ですね。とはいえ、登場人物ごとに異なる考え方・性格が設定されているので、会話劇として楽しめる内容となっています。
ストーリーが設定されているという都合上、最重要問題が意図的にスルーされていたり、前提条件のおかしさが最終版まで指摘されなかったりなど、ゴリゴリの論客にとってはまったくお話にならない内容なんですが、この本のあとがきには「答えを出すためでなく、いろんな考えがあることを認識するための補助(意訳)」とあるので、そういった位置付けの本としては文句無しと言えると思います。
問題があるとすれば、本を手に取る前にあとがきを読むのは難しいということですね。なのでこの本にゴリゴリの議論を求めていた人は期待外れと感じるでしょう。どんな帯が付いていたのかは分からないですが、帯に書いてあれば良いのですが。表紙がキャッチーな感じなので、それを見ればゴリゴリの本ではないと分かるっちゃ分かるでしょうけれども。
ちなみに僕は反出生主義ではなく、出産に条件(資格)を求める主義です。「誰にでも自由に子供を産む権利があるだろ!」と主張するのであれば、産んだ子供に対する義務も負うわけじゃないですか。その義務って何だよ?って話で、法律では養育の義務やら何やらとされているんですが、産む自由は定義されていないのでこれを引き合いに出すのは間違いです。
じゃあ「産む自由」に対する義務はなんだ?って話で、この辺りは本書で語られているので省略しますが、結論を言うと「幸福にする義務」なんですね。親は子供を幸せにしたいと思っているでしょうから、当然その義務を果たせると確信したうえで産んでいる…はず。確信できないなら産むべきではなく、自由論者はその辺りを甘く考えているんじゃないかと。
産む前は確信できていたとしても、人生はその通りに行くとは限りません。その辺りについては運転免許証で考えてみると分かりやすいんじゃないでしょうか。
運転免許証を取得する人は事故を起こさないようにしようと思っているはずです。そして運転免許証は車を運転する権利を付与してくれますが、安全運転をする義務も付与されます。もしも当初の思惑通りに行かずに交通事故を起こしてしまった場合は罪に問われます。故意かどうかで罪の重さは変わるでしょうが、基本的には無罪にはなりません。
覚悟が無ければ運転しなければ良いのです。運転は義務ではありません。自由意思に基づいて運転をした結果、起きた被害に対して責任を負うだけなのです。
そういうワケでして、性質的に出産と割と近いんですね。これを出産に当てはめるなら「子供が幸福になれなかった場合、罪に問われる」のは当然なんじゃないかと。罪に問われないというのはつまり、権利を行使するだけで責任は負わないということです。その無責任な行為を防ぐためには免許が必要です。覚悟・知識・経済力、それらが十分であると確認できない場合には責任を果たすことが困難であるため、出産を認めてはなりません。
運転免許証の試験が一夜漬けで十分突破できるレベルであるのと同じく、試験のハードルは低くて良いと思うんです。明らかにコイツはダメじゃろ…という人を弾くことができればそれでOK。最低限の知識と十分な覚悟があれば大体何でもできますからね。ただし、失敗したら罪に問われる。コレが大事です。コレが無いと何も意味が無いです。
誰が判決を下すのか?もちろん子供です。十分に幸福でなかったとしても、それなりに良い関係を築けていれば親を有罪にする子供なんていません。基本的には無罪となるはず。よって、子供に有罪判決を下された親というのはよほどアレということです。
その場合、いつまで義務が継続するのか?となるんですが、それは当然子供が一生を終えるまでです。しかし一般的には親の方が早く死ぬし、死んでからは罪を問うことはできないので、例えば10年毎といったタイミングで罪を問うと良いでしょう。
これは別に大人になってからも親のすねをかじるということではないです。子供が「生まれて良かった」「産んでくれてありがとう」と思えるかという話なので。
しかしこれはかなり無茶な話で、人生というものは予期しない何かによって突然不幸になる場合があります。親がどれだけ完璧に振舞っても、子が不幸になることを避けられないことがあります(子自身が不幸を招く場合など)。そういうわけで超理不尽な決まりなんですが、それは出産も同じこと。新たな生命を生み出すということは、それほどに理不尽なことなのだという認識が必要なのです。
このような決まりがあれば、反出生主義でなくとも人類は勝手に滅びます。子供を幸福にする覚悟・知識・経済力のある人しか出産できないし、そんな人は少ないからです。
本当は免許や罰則なんて無くても、誰もが出産という行為の意味、重さを熟慮し、理解したうえで産むかどうかの決断をすれば良いだけなんですが、人類は馬鹿なのでそんなことはできないのです。性欲や楽観的な妄想の末に生まれた子供が大半でしょう。
人類はそうやって現在まで続いてきたし、これからもそうなのでしょう。それは生物としては正しい姿なのだと思います。問題があるのは「我々は文化的な生物であり、動物ではない」とか主張するのに、生殖に関してのみ動物的であって良いというダブルスタンダードの主張をする人ですね。「我々は所詮動物だ」というのであれば問題無いです。
…というヤベェ思想を持っているので、僕は社会不適合者なんだなぁと。
今日からは「粘膜人間」を読んでいます。これも面白いなぁ…連続アタリですね。性描写がかなり露骨なので万人にオススメできる内容じゃないんですが、僕はそういった要素を排除することこそ不健全だと思うので、ちゃんと書いてあるのは好感が持てます。
文体が昭和の文豪のようにしっかりしているので、非常に読みやすいのも良いですね。言葉選びのセンスも素晴らしく、これこそまさに「表現作品」だよなぁと。そんな感じでサクサク読めてしまうんですが、前回と同様に260P程の薄い本なので、読み過ぎるとソッコーで終わってしまいます。セーブして読み進めなければ。
・残
ファンになれるようなモノ(作品?)を探そうと思っていたんですが、実はその必要は無いのではなかろうか?ということに気付きまして。
「新しい何かを探す」ってのはとても難しいことじゃないですか。どれだけ探しても見つからない可能性が高いし、見つけた!と思ったのに実はそれほどでもなかったり。
こればかりはもう運命みたいなもので、ミッキーマウスを見た瞬間にズキュン!と来る人、初見ではそうでもなかったけどディズニーの歴史を調べてドハマりする人、歴史を知ってもハマれなかった人など、色々いますからね。自分がどこに該当するかは、その瞬間が来るまで分かりません。なので果てしない旅になる可能性があります。(即ゴールもある)
そこで僕は気付いたのです。「過去の心残りを回収して行こう」と。過去の心残りというものは、確実にソコに存在することを既に知っているし、それが面白くても面白くなくてもとりあえず心残りは消えるので損することは無いのです。
現在の人生を5点としましょう。そしてマイナス1点の心残りが2つあるとします。ここで「存在するかどうか分からない新しい何か」を発見して2点加算するより「確実に存在する心残り」を消して2点獲得する方が確実&楽に7点にできます。
違いがあるとすれば、新しい何かは無制限に加点することが可能です。一方で心残りは有限なので、全てを消してしまったらそれ以上は加点することはできません。その後はやはり新しい何かを探すしかないので、結局は旅をすることになるのですが。心残りが無茶苦茶多い人なら死ぬまで困ることは無いでしょうね。
僕も心残りは幾つかあるんですが、とりあえずお手軽に消して行けるのはゲームですね。これまで「ゲームの時間は無駄じゃないが、やはり何も残らないことは確かであり無駄なのだ」ということで避けてきたゲームが結構あるんですよ。ニートになってからではなく、なる前の話ですね。やはり働いていた頃は自由時間が貴重でしたので。更に遡れば、金が無くて遊べなかったゲームも多々あります。
そういった過去の怨霊を成仏させて行くのがいいんじゃないかなぁと思うんです。古いゲームばかりですから、入手不可のゲームも多々ありますし、レア過ぎで高額になっているゲームもあるんですが、それらを避けても結構な数があるので暫くは大丈夫かなと。
ゲーム漬けになるのはアレですし、できるだけ長い期間を使った方が楽しさを持続できるので(クリアしたら終わってしまう)、1日のプレイ時間は制限して行きたいと思います。
そんな感じで、人生の点数を上げて行きたいと思いマス。
・今週の読書
いつものアレ。
・残
多くの日本人が見落としていそうなこと。
ほいドン。
・今週の読書
今週読了した本:
ただしい人類滅亡計画-反出生主義をめぐる物語:品田遊
現在読んでいる本:
粘膜人間:飴村行
「ただしい人類滅亡(略」を読了しました。一応は小説という体になっていますが、実際には反出生主義を巡る議論の議事録ですね。とはいえ、登場人物ごとに異なる考え方・性格が設定されているので、会話劇として楽しめる内容となっています。
ストーリーが設定されているという都合上、最重要問題が意図的にスルーされていたり、前提条件のおかしさが最終版まで指摘されなかったりなど、ゴリゴリの論客にとってはまったくお話にならない内容なんですが、この本のあとがきには「答えを出すためでなく、いろんな考えがあることを認識するための補助(意訳)」とあるので、そういった位置付けの本としては文句無しと言えると思います。
問題があるとすれば、本を手に取る前にあとがきを読むのは難しいということですね。なのでこの本にゴリゴリの議論を求めていた人は期待外れと感じるでしょう。どんな帯が付いていたのかは分からないですが、帯に書いてあれば良いのですが。表紙がキャッチーな感じなので、それを見ればゴリゴリの本ではないと分かるっちゃ分かるでしょうけれども。
ちなみに僕は反出生主義ではなく、出産に条件(資格)を求める主義です。「誰にでも自由に子供を産む権利があるだろ!」と主張するのであれば、産んだ子供に対する義務も負うわけじゃないですか。その義務って何だよ?って話で、法律では養育の義務やら何やらとされているんですが、産む自由は定義されていないのでこれを引き合いに出すのは間違いです。
じゃあ「産む自由」に対する義務はなんだ?って話で、この辺りは本書で語られているので省略しますが、結論を言うと「幸福にする義務」なんですね。親は子供を幸せにしたいと思っているでしょうから、当然その義務を果たせると確信したうえで産んでいる…はず。確信できないなら産むべきではなく、自由論者はその辺りを甘く考えているんじゃないかと。
産む前は確信できていたとしても、人生はその通りに行くとは限りません。その辺りについては運転免許証で考えてみると分かりやすいんじゃないでしょうか。
運転免許証を取得する人は事故を起こさないようにしようと思っているはずです。そして運転免許証は車を運転する権利を付与してくれますが、安全運転をする義務も付与されます。もしも当初の思惑通りに行かずに交通事故を起こしてしまった場合は罪に問われます。故意かどうかで罪の重さは変わるでしょうが、基本的には無罪にはなりません。
覚悟が無ければ運転しなければ良いのです。運転は義務ではありません。自由意思に基づいて運転をした結果、起きた被害に対して責任を負うだけなのです。
そういうワケでして、性質的に出産と割と近いんですね。これを出産に当てはめるなら「子供が幸福になれなかった場合、罪に問われる」のは当然なんじゃないかと。罪に問われないというのはつまり、権利を行使するだけで責任は負わないということです。その無責任な行為を防ぐためには免許が必要です。覚悟・知識・経済力、それらが十分であると確認できない場合には責任を果たすことが困難であるため、出産を認めてはなりません。
運転免許証の試験が一夜漬けで十分突破できるレベルであるのと同じく、試験のハードルは低くて良いと思うんです。明らかにコイツはダメじゃろ…という人を弾くことができればそれでOK。最低限の知識と十分な覚悟があれば大体何でもできますからね。ただし、失敗したら罪に問われる。コレが大事です。コレが無いと何も意味が無いです。
誰が判決を下すのか?もちろん子供です。十分に幸福でなかったとしても、それなりに良い関係を築けていれば親を有罪にする子供なんていません。基本的には無罪となるはず。よって、子供に有罪判決を下された親というのはよほどアレということです。
その場合、いつまで義務が継続するのか?となるんですが、それは当然子供が一生を終えるまでです。しかし一般的には親の方が早く死ぬし、死んでからは罪を問うことはできないので、例えば10年毎といったタイミングで罪を問うと良いでしょう。
これは別に大人になってからも親のすねをかじるということではないです。子供が「生まれて良かった」「産んでくれてありがとう」と思えるかという話なので。
しかしこれはかなり無茶な話で、人生というものは予期しない何かによって突然不幸になる場合があります。親がどれだけ完璧に振舞っても、子が不幸になることを避けられないことがあります(子自身が不幸を招く場合など)。そういうわけで超理不尽な決まりなんですが、それは出産も同じこと。新たな生命を生み出すということは、それほどに理不尽なことなのだという認識が必要なのです。
このような決まりがあれば、反出生主義でなくとも人類は勝手に滅びます。子供を幸福にする覚悟・知識・経済力のある人しか出産できないし、そんな人は少ないからです。
本当は免許や罰則なんて無くても、誰もが出産という行為の意味、重さを熟慮し、理解したうえで産むかどうかの決断をすれば良いだけなんですが、人類は馬鹿なのでそんなことはできないのです。性欲や楽観的な妄想の末に生まれた子供が大半でしょう。
人類はそうやって現在まで続いてきたし、これからもそうなのでしょう。それは生物としては正しい姿なのだと思います。問題があるのは「我々は文化的な生物であり、動物ではない」とか主張するのに、生殖に関してのみ動物的であって良いというダブルスタンダードの主張をする人ですね。「我々は所詮動物だ」というのであれば問題無いです。
…というヤベェ思想を持っているので、僕は社会不適合者なんだなぁと。
今日からは「粘膜人間」を読んでいます。これも面白いなぁ…連続アタリですね。性描写がかなり露骨なので万人にオススメできる内容じゃないんですが、僕はそういった要素を排除することこそ不健全だと思うので、ちゃんと書いてあるのは好感が持てます。
文体が昭和の文豪のようにしっかりしているので、非常に読みやすいのも良いですね。言葉選びのセンスも素晴らしく、これこそまさに「表現作品」だよなぁと。そんな感じでサクサク読めてしまうんですが、前回と同様に260P程の薄い本なので、読み過ぎるとソッコーで終わってしまいます。セーブして読み進めなければ。
・残
ファンになれるようなモノ(作品?)を探そうと思っていたんですが、実はその必要は無いのではなかろうか?ということに気付きまして。
「新しい何かを探す」ってのはとても難しいことじゃないですか。どれだけ探しても見つからない可能性が高いし、見つけた!と思ったのに実はそれほどでもなかったり。
こればかりはもう運命みたいなもので、ミッキーマウスを見た瞬間にズキュン!と来る人、初見ではそうでもなかったけどディズニーの歴史を調べてドハマりする人、歴史を知ってもハマれなかった人など、色々いますからね。自分がどこに該当するかは、その瞬間が来るまで分かりません。なので果てしない旅になる可能性があります。(即ゴールもある)
そこで僕は気付いたのです。「過去の心残りを回収して行こう」と。過去の心残りというものは、確実にソコに存在することを既に知っているし、それが面白くても面白くなくてもとりあえず心残りは消えるので損することは無いのです。
現在の人生を5点としましょう。そしてマイナス1点の心残りが2つあるとします。ここで「存在するかどうか分からない新しい何か」を発見して2点加算するより「確実に存在する心残り」を消して2点獲得する方が確実&楽に7点にできます。
違いがあるとすれば、新しい何かは無制限に加点することが可能です。一方で心残りは有限なので、全てを消してしまったらそれ以上は加点することはできません。その後はやはり新しい何かを探すしかないので、結局は旅をすることになるのですが。心残りが無茶苦茶多い人なら死ぬまで困ることは無いでしょうね。
僕も心残りは幾つかあるんですが、とりあえずお手軽に消して行けるのはゲームですね。これまで「ゲームの時間は無駄じゃないが、やはり何も残らないことは確かであり無駄なのだ」ということで避けてきたゲームが結構あるんですよ。ニートになってからではなく、なる前の話ですね。やはり働いていた頃は自由時間が貴重でしたので。更に遡れば、金が無くて遊べなかったゲームも多々あります。
そういった過去の怨霊を成仏させて行くのがいいんじゃないかなぁと思うんです。古いゲームばかりですから、入手不可のゲームも多々ありますし、レア過ぎで高額になっているゲームもあるんですが、それらを避けても結構な数があるので暫くは大丈夫かなと。
ゲーム漬けになるのはアレですし、できるだけ長い期間を使った方が楽しさを持続できるので(クリアしたら終わってしまう)、1日のプレイ時間は制限して行きたいと思います。
そんな感じで、人生の点数を上げて行きたいと思いマス。
餌 [雑記]
人生の栄養失調
・今週の読書
いつものアレ。
・動物
なごみ枠。
・情熱
やはり不可欠。
ほいではボスン。
・今週の読書
今週読了した本:
人獣細工:小林泰三
現在読んでいる本:
ただしい人類滅亡計画-反出生主義をめぐる物語:品田遊
「人獣細工」を読了しました。短編集であり「人獣細工」「吸血狩り」「本」という3編が収録されているんですが…人獣細工は中盤までは超面白いんですが、オチが平凡なのでボチボチ止まり。吸血狩りはぶっちゃけ面白くないです。本は結末が秀逸。
著者は30年近く書き続けているベテランなんですが、本作は2作目という最初期の作品になります。なので作風がまだ定まっていなかったのかな?という印象。この後、人獣細工の路線で執筆されて行くのであれば追って行きたいところですが、どうなんじゃろう。続く作品が「密室・殺人」「肉食屋敷」なので、多分そうだと思うのですが。
今日からは「ただしい人類滅亡計画-反出生主義をめぐる物語」を読んでいます。面白過ぎて1日で読み終えてしまいそうだったので頑張って打ち切りました。
この本、僕を知る人が読んだら「お前やんけ」と思うんじゃないかというぐらい、僕と同種の人物が出てくるんですよね。ブラックという人物なんですが、例えば作中で…
ブラック:つまり〇〇ということだ
ブルー:僕もそう思います。だからXXなんですよね
ブラック:いや、それは違う
ブルー:えぇー!?ブラックさんは僕の味方だと思っていたのに…
ブラック:俺は正しい意見の味方だ
という。コレ、僕も絶対同じこと言いますわ。味方だろうが間違っている奴は間違っているし、敵だろうが正しい奴は正しいのです。そういった具合で、非常に共感できる内容になっているので僕的には面白いのですが、万人にとって面白いかは分かりません。
内容はタイトルの通りなんですが、より具体的に言うと「人類は生きるべきか?滅びるべきか?双方、合理的な理由を述べよ」みたいな感じですね。一応は物語の体ではありますが、基本的にはただ議論しているだけなので、そういうのが好きならば。
Twitter引用とかあるので一応畳みます。
・今週の読書
いつものアレ。
・動物
なごみ枠。
・情熱
やはり不可欠。
ほいではボスン。
・今週の読書
今週読了した本:
人獣細工:小林泰三
現在読んでいる本:
ただしい人類滅亡計画-反出生主義をめぐる物語:品田遊
「人獣細工」を読了しました。短編集であり「人獣細工」「吸血狩り」「本」という3編が収録されているんですが…人獣細工は中盤までは超面白いんですが、オチが平凡なのでボチボチ止まり。吸血狩りはぶっちゃけ面白くないです。本は結末が秀逸。
著者は30年近く書き続けているベテランなんですが、本作は2作目という最初期の作品になります。なので作風がまだ定まっていなかったのかな?という印象。この後、人獣細工の路線で執筆されて行くのであれば追って行きたいところですが、どうなんじゃろう。続く作品が「密室・殺人」「肉食屋敷」なので、多分そうだと思うのですが。
今日からは「ただしい人類滅亡計画-反出生主義をめぐる物語」を読んでいます。面白過ぎて1日で読み終えてしまいそうだったので頑張って打ち切りました。
この本、僕を知る人が読んだら「お前やんけ」と思うんじゃないかというぐらい、僕と同種の人物が出てくるんですよね。ブラックという人物なんですが、例えば作中で…
ブラック:つまり〇〇ということだ
ブルー:僕もそう思います。だからXXなんですよね
ブラック:いや、それは違う
ブルー:えぇー!?ブラックさんは僕の味方だと思っていたのに…
ブラック:俺は正しい意見の味方だ
という。コレ、僕も絶対同じこと言いますわ。味方だろうが間違っている奴は間違っているし、敵だろうが正しい奴は正しいのです。そういった具合で、非常に共感できる内容になっているので僕的には面白いのですが、万人にとって面白いかは分かりません。
内容はタイトルの通りなんですが、より具体的に言うと「人類は生きるべきか?滅びるべきか?双方、合理的な理由を述べよ」みたいな感じですね。一応は物語の体ではありますが、基本的にはただ議論しているだけなので、そういうのが好きならば。
Twitter引用とかあるので一応畳みます。