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 [雑記]

自分が止まるのは自由だが、他人を止めるのは自由ではない。

・今週の読書
いつものアレ。

・ここまで来たAI
開発しているのは人間だが。

・今週のゲーム
いつものアレ。

ほいではドロン。


・今週の読書
今週読了した本:
BEATLESS:長谷敏司

現在読んでいる本:
アフターダーク:村上春樹

今後読みたい本:
正欲:朝井リョウ
know:野崎まど
少女禁区:伴名練
皆勤の徒:酉島伝法
魚舟・獣舟:上田早夕里

「BEATLESS」を読了しました。これは評価が難しいですね…オススメしたいけれどもオススメできない。良い部分については沢山書くことがあるので、悪い部分から。

文章が絶望的に下手です。主述の関係が無茶苦茶で日本語として成り立っていない部分や、何を修飾しているのかサッパリ分からない文章が頻出します。また、唐突に話が切り替わることが多々あるため一体何の話をしているのかをいちいち考える必要があります。

かなり遡って考えるとアレのことだな…というのは分かるんですが、読者視点では「そこにあることが適切な文章」であるとは思えません。作者の頭の中では繋がっているのでしょうが、我々にとってその文章は必然ではないのです。そういった事情を一切無視して書きたいことを書きたいように書いているため、大変読み難い本となっております。

ザっと検索して本書の感想を参照したところ、ファンの方は「これが先生の文章だから」というようなことを書いていましたが、それはファンだからこその贔屓目であり、ファンでない人間にとってはただ読み難いだけの文章でしかありません。編集や校正はどうしてこれを通してしまったのか…彼らはそれが持ち味の範囲だと判断したってことなんでしょうが。

僕の読解力が低いだけという話もあるかと思い軽く検索してみましたが、同様の声は結構ありました。とはいえ真実は読者それぞれが判断するものなので。ええ。

あとは、序盤では夫に愛想を尽かして出て行ったはずの母親が中盤では死亡したことになっていたり、なんでやねん!とツッコミを入れざるを得ないぐらいにおかしなことが起きたりはしているんですが、それは些細なことであり、物語には大して影響がない…とも言えないのですが、本質的な部分には影響はないので特に問題はないかと思います。

で、良いところです。コレが大事ですよね。この作品の根幹には「人間の形をした心を持たない存在とどう付き合って行くのか」というテーマがあります。そしてそのテーマに付随して「心を持たない人型ロボットが社会に浸透することで、人間は不要になるのでは?それは人類の終焉なのでは?」という問題があり、これを軸に物語が展開されます。

これが大変良く描けているんですよね。少年誌のバトル漫画風(というかラノベ的というか)な内容に落とし込んであるので好き嫌いはあるかと思いますが、この物語が表現している本質的な部分は近未来に確実にやってくる現実の問題であり、余命が40年程度ある人々は全員が考えておくべきことでしょう。余命がそれより短い人は…その時代を生きられないかもしれないので、まぁ。いや、でも想像していたより進歩が速いからなぁ。

この物語では、モノが持つ形によって人間の心を動かすことを「アナログハック」と呼んでいます。例えば精巧な人型アンドロイドがあるとします(以下、アン子)。そのアン子が「あなたと一緒にいると楽しいです」と言ったり、殴った際に「痛いです、やめて下さい」と言ったら、我々は「モノに感情は無い、これはただそういう反応をするようプログラムされているだけだ」と割り切れるでしょうか?って話ですね。

アン子は生命体ではありませんから、楽しいなんていう感情を抱くことはありません。痛覚もありませんから、痛いと思うこともありません。ただ「楽しいと言ったらこの人は喜ぶだろう」と推測したり、「このまま殴られ続けたら破損するので、やめさせなくてはならない」と判断したに過ぎません。感情によって紡ぎ出された言葉ではないということです。

アン子の言葉に一喜一憂したり、アン子を好きになったり、可哀想だと思ったりしたなら、それはアナログハックを受けているということです。現実は先の通り「そういう反応をするようプログラムされているだけ」です。計算結果を出力しただけとも言えます。

しかしですね、そこでひとつ疑問が浮かぶワケですよ。「人間もそうではないのか?」と。アン子が生命体でないことは事実だし、人間が生命体であることも事実です。よってアン子は人間ではないというのは事実なんですが、だからといって人間とアン子の思考プロセスが同じでないとは言い切れないワケですよね。であれば、人間の言葉に一喜一憂することと、アン子の言葉に一喜一憂することに違いはあるんだろうか?と、僕は思うのです。

相手が人間であっても、心があるかどうかなんて分からんじゃないですか。ただ単に我々が「相手に心がある」と知覚したから心があるってことになっているだけであり、証明できないんですよ。量子論と同じで「心があると知覚したから、そこに心がある」のであって、アン子に心があると知覚したならば、アン子にも心があるんですよ。

別にアンドロイドじゃなくてもいいですよ。お気に入りのぬいぐるみが燃やされたら悲しいじゃないですか。お気に入りのコップが割れたら悲しいじゃないですか。でも、ぬいぐるみにもコップにも命や心はありませんよね。我々人間は「モノが持つ形(もっと言えば、存在感)に心が動かされる」ように出来ているのです。それが自然なのです。

そういった「モノに心が動かされてもいいじゃないか」という派閥と、「人間は至高であり、心を動かして良いのは人間だけである」という派閥の戦いが描かれます。

後者がなぜそうなってしまったかと言うと、アンドロイドが人間の仕事を奪ったりして「人間の領域」を浸食したからですね。本当は彼らもモノに心が動かされるのが人間として自然な姿だと分かっているはずなんですが、それを否定しないと人間の領域が消滅するという危機感がありますから、否定せざるを得ないのです。

コレがまた、先週も書きましたけどまさに現代のAIを取り巻く問題と同じ構図なんですよね。AIは便利だと分かっているし、人間が上手くAIを使えば更に豊かな世界を作り出せることは分かっているのに、人間の尊厳を奪われるような気がするからAIを否定せざるを得ない。彼らは人間が好きでたまらないんですよ。だから人間が一番であって欲しいのです。

現実的には、AIは既に幾つかの分野で殆どの人間よりも高い能力を示しています。その分野では「人間は不要な存在」になりつつあるワケです。これを食い止めるためにAIを滅ぼして今の生活(あるいは人間文化)を維持しよう…と、そういう話ですね。

でもねぇ、彼らはひとつ見落としているんじゃないですかね。「生きること」はAIには出来ないんですよ。AIが人間の領域を浸食するのは確かでしょうし、人間がやらなくて良いことがどんどん増えてやることが無くなるかもしれません。でも「生きること」が残されているじゃないですか。なぜそれを更に発展させようと思わないのですか?

仕事や趣味が奪われるという話を聞くんですが、そりゃAIの方が上手くやれるのだから仕事は奪われるでしょう。でも趣味は別に奪われないんですよ。「AIが描く絵が売れたら、僕の絵が売れないだろ!」という話も聞きますが、売らなきゃいいじゃないですか。AIはあなたに絵をやめろとは言わないし、あなたの絵を見る人に見るなとは言いません。

でも「AIが上手な絵を量産したら、僕の絵を見たい人がいなくなるだろ!」って話ですよね。じゃあ、現時点であなたより上手い超一流のイラストレーターの存在は許してもいいのですか?その人が存在するせいで、あなたの順位が下がって見てくれる人が減っているのではないですか?って話なんですよ。結局、あなたが上手くないのが原因なのです。

AIが超上手い絵を短時間で量産するから…って話もありますが、量の問題なら絵描き人口が爆発的に増えた場合にも同じことを言えますか?って話になるじゃないですか。「人間ならいいが、AIはダメ」ってのは、本質的な答えじゃないんですよ。

ネタバレになりますが、この物語の結末は「相手がモノであっても、人間は心を感じることができる(=人間とモノは共存できる)」でした。結局、現実世界もこの答えに行き着くしかないと思うんですよね。AI排斥派はそのまま憤死するか、考えを改めるか、世間の流れに逆らうことができずに嫌々従うかのいずれかになるでしょう。最後が一番不幸ですね。

でもねぇ、僕は思うんですよ。「そうはいっても、結局お前らも家に帰ってアン子が『今日もお疲れさまでした』と微笑んでくれたら『AIっていいな』と言うんだろ?」と。


今日からは「アフターダーク」を読んでいます。ちょいと予約をミスったようで、予定していた「know」が貸し出し中だったので急遽この本に。何を借りようか結構悩んだのですが、作家に関する知識が無いので誰がどのような本を書いているのかあまり分からないんですよね。なので、安定の村上春樹という選択になりました。

まだ序盤なので面白いかどうかは分かりませんが、やはり村上春樹は文章が上手いなぁ…なんというか、安心して読めます。


以下、AIの話なので畳みます。
本の感想も似たようなものでしたが。






 

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