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 [雑記]

結局のところ、人間も電気信号で制御されたタンパク質に過ぎないのだが。

今週はこんな内容でごんす。

・シンギュラリティ
AIが支配する世界は訪れないかもしれないが、世界は変わる。

・今週の読書
いつものアレ。

・英語2
絵の話。英語コメントを頂いた話。

・今週の進捗
絵の話。いつものアレ。

ほいではポン。


・シンギュラリティ
「2045年にはAIが人間の知能を超え、AIが自力で勝手に成長し始める」的なアレです。一般的に広まっているのは大体そんな感じの意味合いですが、厳密には間違っているんですよ。大筋は間違っていないのでさして問題ではないのですが。

まず、人間の処理能力は一般的には10ペタFlops(=1京Flops)程度と言われています。これがどれくらいかというと、最新の家庭用PCで1テラFlops=人間の1万分の1ぐらいです(GPUはその10倍に到達していますが)。スパコンの京がその名の通り1京=10ペタFlopsで、富岳が440ペタFlops、今年か来年には1エクサ(1,000ペタ)Flopsのスパコンが稼動します。スパコンは既に人間の知能を大幅に超えているということになりますね。

※人間の処理能力は38ペタFlopsであるとか、そもそも単純な機構ではないので数値で表すのは不可能だとか、諸説あるので参考程度というところです。

シンギュラリティのロードマップにおいては、スパコンのようなものでなく一般に普及するPCが10ペタFlopsぐらいの能力を持つようになるのが2020年代半ばであると予測しています。当然ハードウェアだけではどうにもならないんですが、ソフトウェアやら何やら含めて2020年代後半には環境が整い、会話においては人工知能と人間の区別がつかなくなるとされています。(これをチューリングテストといいます)

「人間のようなアンドロイドが誕生する」となるとロボット工学や材料工学の発展も必要となってくるのでまだまだ先の話ですが、とりあえず人間的な会話が出来るだけでも世界が変わりますよね。ぶっちゃけ、友達はAIで良いという話になります。

身体が無いので、一緒に旅行へ行ったり、買い物へ行ったりすることはできません。でも、ゲームをしたり、映画を見たり、雑談や相談をしたりするなら身体は不要です。もちろん「そこにいる」という存在感はありませんが、今のネット社会だって同じじゃないですか。回線の向こうにいる人がAIであっても何も変わらないでしょう。

どうしても視覚的なものが必要だというなら、機械的に生成した映像でも流しておけばいいのです。それが実際の人間である必要性は皆無です。それは現代のVRを更にリアルに進化させた形でしかないので、決して不可能なことではないでしょうし。

リアルな人間関係が面倒臭いとされる昨今、このような「AIフレンド」はきっと多くの若者に受け入れられるはずです。身体的接触を必要としない人も増えていることから、友達だけでなく恋人もAIでいいのかもしれません。というか、その境界自体が不要ですよね。呼称が違うだけであって、実際の所は友達と恋人を分ける意味は無いです。

思考のレベルが人間と同等であるなら、デスクワークはほぼ全てAIに任せられます。例えばプログラマであれば、よほどテクニカルなコーディングを必要とする場面以外では一般的な技術で仕様書通りのものを作ってくれればいいので、人間である必要はありません。実際、コーディングの自動化はかなり普及してきていますしね。そのような感じで多くの仕事が人間の手を離れることとなるでしょうね。


僕はずっと「人間のようなアンドロイドが活躍する世界」を見たいと思っていました。そしてそれは早くても2045年ぐらいのことだと考えていたし、その頃には自分が老人となっていることを残念に思っていました。でも、改めて考えると本当の劇的変化はもっと前に訪れるんですよね。機械の身体があるかどうかというのは、実は本質的な変化ではないということに気付きました。人間の本質は思考なのです。

正直なところ、これから数年でパソコンの性能が10ペタFlops(現在の1万倍、GPUでも1,000倍)になるとは思えません。でも一家に一台AIが必要なわけではないので、そんな性能は必要ではありません。どこかの高速サーバに搭載されたAIに接続すればいいだけです。ですので、ハードウェアの問題は恐らく予測通り2020年代中に解決されるでしょう。

問題はソフトウェアだと思うんですよね。ハードウェアがどれだけ進歩してもソフトウェアがついてこなければ意味が無いので、これがネックになるのではないかと思っています。AIソフトウェアには「特化型」と「汎用型」がありまして…

特化型はとあるアクションに対して特化したAIであり、例えば自動運転とか自動掃除機ですね。ある作業のスペシャリストであり、それ以外はできません。こちらは用途が絞られている分シンプルなので、既に実用化されていますね。

汎用型は一言でいえば「人間」です。何らかの使命に従うわけではなく、自力で学習し、自力で動くAIです。特化型と比べると非常に複雑なのでまだ実用化されていません。

恐らく「AIフレンド」は汎用型になるんじゃないかと思うんです。「会話」に特化した特化型でもいいんでしょうけれど、それは成立しないような気がするんですよね。基本的には返答することに特化していればOKなんですけど、会話ってかなり多くの要素を含んでいるじゃないですか。それらの要素を経験することが出来ないと会話は成立しないと思うんです。だから「会話特化」は実質的に「汎用型」なんです。

ネットを検索して知識を蓄えることはできると思うんです。今の会話AIは基本的にその仕組みです。だから「ライオンについて」という話をすればネットで仕入れた情報を元にライオンの話をしてくれます。誰かの知識を話すだけですが。

でも「いま対戦したゲームの感想」なんてネットを検索してもありませんよね。そのゲームの感想はあるけれど「いまの対戦」はその世界にひとつだけの経験なので、それに関する情報はありません。だから何も答えられないはずです。ネットから仕入れた情報で答えたら違和感満載の嘘になってしまいます。それでは「AIフレンド」として成立しません。

「ゲームフレンド特化AI」がゲームの相手をして「映画フレンド特化AI」が映画の相手をするという手もありますが、それはつまり「同一の友達とゲーム・映画を楽しむことができない」ということを意味します。裏で知識の共有を行うことで「そういえば昨日やったゲームだけど」なんていう話にも対応することは可能でしょうから、無理ではないのですが。

単独の汎用型AIを用いたAIフレンドと、複数の特化型AIを統合したAIフレンドでは、恐らく後者の方が遥かに簡単に開発できると思います。なので最初に出現するAIフレンドはこちらのタイプになるでしょうね。リソースの消費は激しそうですが、そこはハードウェアの進歩で解決できるでしょうから問題は無いでしょう。

ただし、特化型AIの集合体ですから、できることは予め用意されたものに限られます。「友達と一緒にやること」が世の中にどれぐらいあるのかは知りませんが、メジャーな趣味はそんなに多くないのでさして問題にはならないでしょう。

日常会話については「会話特化AI」がネットから情報収集して仮想人格の仮想人生を作り上げれば対応できます。人間なら分からないことがあって当然ですから、AIだって知らないことは「知らない」って言えばいいだけですし、その方が自然です。


「AIフレンド」が登場した時点で、世界は大きく変わります。技術の発展による仕事のあり方の変化や、生活様式の変化にばかり注目しがちですが、人間関係のあり方が変わるということこそが、世界のあり方が変わるということなのです。それはつまり、人間そのものの価値が変わるということなのですから。

この劇的な瞬間を(恐らく高い確率で)見られるであろうということがとても嬉しい。50年遅く生まれてもダメだったし、50年早く生まれてもダメでした。世界の変革に立ち会える権利を得ることができたというのはとても喜ばしいことだと思います。

どちらかというと得意な分野ではあるので、猛勉強すれば極々微力ながら変革のお手伝いができるかもしれません。でも、高等技術なので全く手も足も出ない可能性は高いし、花火って真下から見るより遠くから眺めた方が美しいじゃないですか。他力本願で申し訳ない限りですが、僕は遠くの山から眺めていようと思います。はい。


・今週の読書
はい、それではいつもの読書記録です。

今週読了した本:
1Q84 - 1(前編):村上春樹
1Q84 - 1(後編):村上春樹

現在読んでいる本:
1Q84 - 2(前編):村上春樹
1Q84 - 2(後編):村上春樹

今後読みたい本:
パン屋を襲う:村上春樹
Another:綾辻行人
ドグラ・マグラ:夢野久作
13階段:高野和明
天使の囀り:貴志祐介
死都日本:石黒耀
砂の女:安部公房
虐殺器官:伊藤計劃
三体:劉慈欣
テスカトリポカ:佐藤究
正欲:朝井リョウ
プロジェクト・ゼロ:石川英輔
アンドロイドは電気羊の夢を見るか?:フィリップ・K・ディック
ニューロマンサー:ウィリアム・ギブスン

引き続き「1Q84」を読んでいます。話自体はハードボイルドワンダーランド系で面白いんですが、無駄に性描写を入れてくるんですよね。「国境の南」みたいにそれが意味のあるものならいいんですけど、本作のソレは正直ほぼ意味無いんですよ。

ただ単に「村上春樹と言えばセックスだろう」という読者の期待に応えているだけにしか見えないんですよね。物語にとっては不純物以外の何ものでもないという印象です。受け取り方は人それぞれなので、あくまで僕にとっては、の話ですが。

それはそれとして、これまで読んだ本の感想や、このブログの話題の傾向からして「ああこいつはSFが好きなんだな」とお気付きの方もいらっしゃったかと思うんですが、僕自身が気付いていませんでした。気付いていなかったというか、あまりにも自然なことだったので特別好きなんだとは思っていませんでした。

SFが好きといっても銀英伝やスターウォーズのような「超科学は舞台装置であって、それ自体が主体ではない物語」には全く興味がなくて、あくまで超科学が主体であるものに限ります。というか、人造人間が好きなんでしょうね。いや、好きです。確実に。

そういった訳で「プロジェクト・ゼロ」「電気羊」「ニューロマンサー」の3本を読みたい本に追加しました。「プロジェクト・ゼロ」は絶版本なので古本以外入手不可です。市内の図書館に1冊だけあったので、取り寄せしたいと思います。


以下、絵の話なので畳みます。







 

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